写経

先日、とあるお寺で写経をしました。写経は、二十年程前に一度したことがあるのですが、その折は無心になることはできませんでした。年月を経た今ならば、無心になることができるのではないか、そのような期待もありました。期待している時点で、無心とは程遠い境地なわけですが、実際、今回も無心になることはできませんでした。もう少し上手く書けないか等々様々なことを考えてしまいました。

ご住職がおっしゃるには、写経は無心になることを目的としていないということでしたから、これでいいのでしょう。ただ、思い返すと、墨を磨っているときは無心だったような気がしています。